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ノスタルジー・・・SONY BLDG

 

先日銀座4丁目の交差点に、信号待ちで立ち止まった。

 

見上げるとソニービル。

 

こどもの頃の私にとって、ソニービルとは、

何か新しいものへのあこがれの象徴のようなものであった・・・

 

 

私の父は新しもの好きで、母に言わせると・・・結婚後、お金も無いのに冷蔵庫やら洗濯機やらステレオやら、当時は家庭に無くても決して珍しくないものを次々買ってきたそうだ。(それはしっかり遺伝している気がする)私がもの心付く頃には、もしかするとそれらは古くなっていたかもしれないが、いろいろ楽しませてもらった。

 

例えばステレオは犬のマーク(ビクター)が付いていて、針の部分をくるっとまわすと、SP版も普通のレコードも聞けて、ラジオはAMも聞けた。おかげでSP版のふる~いジャズもけっこう聴いて、後にジャズファンになる下地がこどもの頃に出来ていたのかもしれない。

 

しかしいま思うと、すごい機械で、ちょうど時代の変わり目だったのでしょうね。現代でもそんな変わり目ってありますけど、デジタルでなく、アナログの時代ですから、一台で2役をこなすのは機械としてとっても面白い・・・とは、いまになって思うことですが。

 

 

私の記憶に残る頃にも・・・突然なんの前触れもなく、やっぱり新しいものを家に持ち帰った父であるが、自分ではそれらをまったくといっていいほど使わなかったので、もしかするとこども達の為・・・

とでも思っていたのかもしれない。

 

 

その父が仕事で、ソニーとの関係を持っていた。

 

私の記憶に強烈なもののひとつは、家庭向けの最初のテープレコーダー(オープンリール)がある。

ガチャっとレバーをまわしテープがぐるぐる回り、マイクに向かってしゃべる。また逆にガチャっとレバーをまわしてぐるぐる戻し、自分の声がまた流れてくる・・・コレはたまらなく面白く感激した!

 

その後、兄と二人で本当にめちゃくちゃいろいろなことに使って、カセットテープが全盛になる頃まで、十分活躍した。もとがいくらか知らないが、その使命?は十分成して、もとは取った?かもしれない。

 

 

20年近く前に実家を壊すことになり、その最初の日に録音した肉声テープが見つかった。

若くハリのある声の父が状況を解説し、歌を歌っておどける兄、私にもしゃべらせてあげろと兄を叱る母の声、ほらと母に言われて遠慮がちにしゃべる私と、またそれを打ち消してしゃべる兄(笑)・・・

声とは、音とは、なんといろいろな事を表現するものかと、あらためて感激した。

 

 

ソニービルの話しは・・・

そんなある時(今思うとソニービルの竣工パーティーか何かか?)東京出張から戻った父が持ってきたものは、台の上に乗ったソニービルの精巧な模型で、台の部分にスイッチが付いていて、まわすとAMラジオが聞けた。

 

それはそれは、そのビルがなんとかっこ良いものに見えたことか・・・

 

いったいこれはどこ?

 

聞けば東京にあるソニーのビル。

 

そのラジオをテーブルに置いて、父と兄がよく野球の放送を聴いていたのを覚えている。

私はいつもいつも、その(ラジオ?)ビルを眺めていて、「かっこいいあこがれ」になっていった。

かつて東京ではじめて実物を見たとき、感激と共に、初めて見る気がしなかったのを覚えている。

自分は隅々まで知っているような気がして、不思議な感覚だった・・・

 

いろんな人が、いろんなノスタルジアを持っている。

 

こんな、人間の人間的感覚、デザインに活かしたい!